20年目の同窓会~あの日から途切れた君の声の巻
2019/01/23
私にとっての同窓会
同窓会、それは私にとって、行ってはみたいが決して行くことのない夢物語....
同窓会というものは、学生時代を謳歌したいわゆる「ウェーイ系」「陽キャ」の人のみが楽しめる、学生時代の延長の場だと思っていた。
私にも会いたい人もいるし、未知なるいろいろな人と話してみたい。
だが、高校時代は「陰キャ」として過ごした私なので、同窓会には参加することはないと心に決めていた。
突然君からの手紙ハガキ
高校を卒業し20年が経とうとしたときハガキが届いた。
同窓会のお知らせ
知らせを見た瞬間私は「行ってみたい」と思った。
同窓会と言っても全卒業生が参加するものではなく、自分の代だけの同期会。
今までなら、行こうとも思わなかったし行くことはなかったと思う。
不思議....
アラフォーになり、いい大人になった今、心の変化が起きていた。
今までの私は、悩みすぎてややこしく生きただけだったのだと思う。
無駄なことを考えすぎて自分に壁を作りすぎていただけだ。
行こう、行きたい。
ようやく長かった思春期が終わった。
で、行ってみた。
参加のハガキを勢いで出してみたものの、その後の期待と不安が波のように行ったり来たり。
何とか当日を迎え、私は会場へ。
受付には知ってる顔が。
ほっこりするひと時、そしてよみがえるいろいろな思いで。
しかし、受付の友人は忙しいため、開場までのひと時私は一人きり。
まずい、知っている人が全然いない。会場への到着が早すぎた。
徐々に参加者が増えていくが、私の知っている顔が見つからない。
たまらなくなり、本当に薄い薄い知人に声をかけてみたり。
薄くても声をかけれるなんて、思春期には考えられないことだ。大人のいい加減さと行動力が身についたようだ。
そうこうしているうちに、開場となり会場へ。
会場内はクラスごとの席になっていたため、そこには知っている顔が多数あった。
その中には、1年生の時は仲が良かったがその後仲たがいをしてしまいずっと気になっていた友人がいた。実は20年間ずっと気になっていた。
思い切って話しかけてみた。
相手の心の中はわからないが、1年生の仲が良かった時に戻れた気がした。
長い間かかっていた心のもやが消え去った気がした。
これだけでも、同窓会に参加してよかったと思った。
心が軽くなり、その後は流れに任せていろいろな人と話したり人間観察したり。
時間はあっという間に二次会の終わり。
三次会も用意されていて多数参加するようだったが私は行かなかった。
楽しい気分の時は、楽しい気分のままで。もう少し話したい気分を抑えて八分目、何事もそれくらいがちょうどよい気がして。
と思っていたけど、家に着いた後、うゎー行けばよかったー!!ってなったんだけど。
20年の経過によって人間関係や人はどう変わるか?
その1
学生時代は自分のグループや部活の仲間など狭い範囲の人間関係を超えることはなかったが、大人になった今ではそんな壁はないものだと思っていた。
始まる前は、俺たちみんな同窓生、はじめましての連鎖で新たな友人関係が多数スタートする、そんな希望に満ち溢れていた。
だけど、結局は昔の人間関係がそのまま生きていることに気が付いた。
会場貸し切りで閉鎖的空間で同窓だけ集まればそこはタイムスリップした高校時代と同じ空間。
そりゃ昔の人間関係がそのまま復活するよね。
結局、よく知らない新たな友人はできなかった。
その2
当時の自分のイメージから友人はどのように変化したかを観察してみた。
いい人、そうではない人、印象が薄い人、そんな人たちの20年後はどうなっていたかというと、いいひとはよりいい人になり、そうではない人は現状維持もしくは下降、印象が薄い人はやはり印象が薄いまま。
結局、高校時代の人間性がそのまま続いていくのだと思った。
もちろん4時間程度の観察なので、はっきりわかるわけではないが、そのような印象を受けた。
人間性って簡単に変わるものではないのだなと強く思った。
そして、いいひとはいいスパイラルでどんどん良くなっていくのだなということも分かった。
その3
20年の時間は人の見た目をどう変えたか?
私の予想では、アラフォーなので半数は老化が始まっていて老けたねー?なんてなるんだと思っていた。
だが、ふたを開けてみると予想外だった。
9割の男性はシャキッとし、また女性は綺麗になっていた。
残り1割はそうではない感じでした(笑)
受験シーズンに聞く言葉として、周りの受験生が皆自分より賢く見えるなんてのがありますが、今回まさしくこんな感じでした。
周りの同級生が皆輝いて見えました。
自分を卑下しているわけではなく、皆充実した日々を送った顔をしていました。
大体が、充実しているからこそ参加するわけですしね。
その4
これは最大の発見でした。
私は自分を常に客観的に見るようにしていたつもりでした。
でも、今回の同窓会では、そんな自分の評価と他人の評価が違っていたことがわかりました。
1点目
自分は不真面目で、高校の同級生はなんで真面目な人たちなんだろうと常々思っていました。
だけど、今回私がそう思っていた人たちに会うと、お前は昔と変わらず相変わらず真面目だな。と言われました。
物凄い自分と他人の評価の乖離です。
2点目
高校時代は楽しくないとは思いつつも普通に過ごしていたつもりでした。
同窓会の最中に卒業アルバムと一緒に卒業したクラスの寄せ書きを持って来ていた人がいました。
そこに書いてあった自分の書き込みが想像を絶しました。
暗い毎日をありがとう的な内容。
子を持つようになった現在、自分の子供が寄せ書きにこんなこと書いてあったら心配です。そして何より、こんなクラスメートは嫌です。卒業に向けての寄せ書きにこんな暗い事を書くなんて本当にやばいやつです。
こんな事を書いた記憶もないし、こんな空気を読めないやつだとも思っていませんでした。
自己評価はあてにならないし、自己評価は常にいいように書き換えているのだなと思いました。
情報化時代前の世代の悲劇
自分には友達はほとんどいなく、暗い学生生活だった。
そう、思っていたた。
だけど今回の同窓会で分かった。
自分には友達が意外といて、そんなに悪くない学生生活だったと。
高校では毎年クラス替えがあり、また生徒数が多かったので進級の度にクラスメートとはどんどん疎遠に、そしてそのまま卒業していたので過去のクラスメートの記憶は消えていた。
だが、いろいろな人に声をかけてもらって気が付いた。
自分は多くの良い友人に囲まれ、その人たちのおかげで今の自分が形成されていると。また、それは素晴らしい出会いであり、感謝以外の何物ではないと。
まるで自己啓発本に書かれていそうな言葉だが、本当に自分の中にあふれた。
歳をとるのも悪くはないなと思った。
で、情報化社会の話ですが、当時は進級そして卒業と同時に連絡が途切れてしまい、限りなく少数の人としかつながりが無くなりました。
だけど、現代の情報化技術があれば、ずっとスマホでつながっているわけですよ。卒業しようが外国に行こうが、スマホの中では以前のまま。
友人関係は途切れることがない。
SNSなど息苦しい部分もあるけれど、友人関係を途切れることなくつながっていられるというのはうらやましい部分だなと思った。
情報化社会に間に合わなかった私たちの世代ですが、今回の同窓会を機に情報化社会の波に乗ることが出来、今では20年の空白などなかったかのように連絡を頻繁にできるようになった。
本当の意味での刺激
高校時代から目標を持ち、自分の夢に向かって突き進むキラキラした人がいた。
今回、偶然席が隣になった。
色々な話をしていくうちに、目標を次々と叶え、また常に新たな目標に進んでいるということが分かった。
その新たな目標というのが、ある資格を取って独立開業したいというものだった。
資格の取得も簡単なものではなく、仕事をしながら3年がかりで取ったと聞いた。
その資格は、僕もずっと取得しようと思っていた資格だった。
だけど僕は、毎日をただ漠然と過ごすだけで、最近では勉強すらしていなかった。
目標に突き進む友人とそうではない自分。
自分に雷が落ちたような気がした。(まるで自己啓発本)
世の中には、いろいろな場面で「今回はいい刺激となりました」なんて言葉がテンプレートのように使われ、あふれている。
私も、同様に「今回はいい刺激となりました」なんて使っていた。
だけど、それは大した刺激ではなかった。
今回同窓会に参加して、本当の刺激を受けた。
だって3晩寝付けなかったし。と言うのも事実ですが、本当に自分の考え行動に変化をもたらす刺激を受けた。
軽く参加した同窓会だったけど、多くの友人に出会えていた幸運に気づけたこと、目標に向けて取り組むという姿勢。本当に多くの刺激を受けた素晴らしいものだった。
この気持ちを忘れず、これからの人生進んでいこうと思う。
ちなみに、資格の勉強は同窓会後に再開し、今もまだ続いています。
まとめ
同窓会は絶対行ったほうがいい。
同窓会と言う大イベントを企画する幹事の人達は本当に素晴らしい。