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「情けは人の為ならず」って結局どうなんだろうと考えてみた。

      2017/02/09

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情けは人の為ならず

こんばんは、ことわざ研究家の私です(もちろん嘘です)。

「情けは人の為ならず」私はこの言葉が大好きです。
十数年この言葉を胸に生きてきました。

ちなみに改めて、意味をいつもの辞書で調べてみました。

情けは人の為ならず

失意のどん底にある人に同情の手を差し寄せるのはもちろん純粋な動機に基づくことで他意は、やがて、自分が逆境に立ったときには、相手から救いの手を差しのべられることにもなるものだ。

新明解国語辞典より

人への親切心は時として自分にも親切心として返ってくる。
良いことをしたら良いこととして戻ってくる可能性があるということです。

親切心を持つことへのポジティブな動機になるわけです。
人から親切にされれば、心は温まり他の人への優しくなれる。
優しい心の正の連鎖ですね。

親切心の掛け捨て保険!?

実際他人が困っていたら助けてあげたいとか、親切にしてあげたいと思うことがあったとしても、なかなか行動には移せないものです。
ことわざのベースとしては、親切心は無償が基本のようですが、聖人君子の人などなかなかいないと思いますので、親切は掛け捨て保険くらいな気持ちを持って、人に親切にするくらいがちょうどよいのかもしれません。

そう思って生きてきたわけです。

困っている人がいれば、何が困っているのかを考えてその人を助けてあげようと自分なりにやってきたつもりです。

掛け捨て保険の様な気持ちで始めた親切ですが、なんだかんだ決してリターンは求めていませんでした。
人への親切によってその人が喜んでくれていれば、ただそれだけで嬉しかったのです。

でも問題点もあり...

1点目
親切心が時に押し付けがましくなり、自己満足に過ぎなくなる。

2点目
親切心につけ込み、悪意を持って利用する人がいる。
1点目の問題は、結局自分を律すれば良いわけですし自己解決できる問題です。

2点目は厄介です。
表面上は困って助けを求めているのです。
バレバレの悪意なら見抜くことも出来るかもしれませんが、悪意のプロが見せる演技は見抜くのが難しいです。

転機がやってきた。

今までも、自分が気づかないだけで、親切心につけ込む人と出会ってきたのかもしれませんが、ここ数年、はっきりとそう思える相手と出会ったことにより、自分の今までの考えを見つめ直す機会となりました。

その人はフレンドリーの八方美人「周りから良い人」と思われているタイプの人だったのですが、つけ込める場所が見つかるとじわじわ偽りのフレンドリーと偽善でやってきたのです。
さすがに、違和感を感じたので、色々と振り返ってみるとなんだか利用されていたのだと気づいたのです。

でも、掛け捨てなんだから....

掛け捨てなんだから、親切してそこで終わりなはずです。
でも、利用するだけの悪意ある人ですから、その人から何か返ってくるはずもなく、嫌な気持ちしか残りません。
掛け捨てどころかマイナスですよね。

結局、親切が負を生むことも...

一歩間違えば親切の押しつけになり、かたや親切を利用される場合もある。

難しいものです。

わかったこと。

私は、親切を乱発していたのだと思います。
やはり、ことわざの本意の通り、無償の親切でなければ意味など無いのだと思います。
無意識にある親切にしてやったのにと言う押し付け、悪意あるものを助長させる。
親切が自分にも他人にもストレスを与えていました。

本当に困っている人を見て、心から助けてあげたいと心震える時、ようやく親切をすれば良いのだと気づきました。

良い人ぶるのをやめて、熱い気持ちを持ったまま普通の人間になりたいと思います。

 

今気づきました!!

私を利用しようとする悪意ある人へ親切をしたことによって、自分の考え方や生き方を見つめ直す事ができたのです。
悪意ある人自身からの直接のリターンではありませんが、結果として間接的に得られるものはありました。

まあ、皮肉のような世界ですが。



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