糠床と私~今でもあなたは私の光
糠床と私の100日戦争
ひょんなことから始まった私と糠床との生活。
気が付けば、付き合いは100日になろうとしている。
しかし、その100日の道のりは決して平らではなかった......。
家族における糠床のポジション
糠床と聞いて一体どんなイメージがあるだろうか?
お母さんが台所で毎日手入れをして、その漬物が食卓に並ぶ。
古き良き日本のお母さんのイメージだ。
しかし、我が家における糠床の評判はすこぶる悪い。
それは一体なぜか?
そう、糠床は臭いのだ。
臭いといってもとらえ方は人それぞれ、
酒飲みの私にとって糠床は吟醸香の素晴らしいにおいに感じる。
だが、私以外の家族にとって糠床の匂いは生ごみの香りと紙一重だそうだ。
導入から反対していた妻、糠床をやりたいと言い出したが興味を失った娘、まったく興味などない息子。
好意のない3人にとって、臭い糠床は邪魔者以外の何ものでもないのである。
糠床~二人の共同作業
家族からの嫌われ者になってしまった糠床。
しかし、私にとっては愛おしい対象なのである。
かき混ぜたり、空気を抜いてあげたり、水分を取り除いてあげたりと手をかければかけるだけ、
糠床は発酵という名の成長を見せ、一日たりとも同じ状態にはない。
逆に、数日撹拌を怠れば糠床は元気を失い、においも悪くなっていく。
そう、糠床は私の愛情なしには生きていけないのだ。
私は来る日も来る日も糠床をかき混ぜ続けた。
あれ、何かがおかしいぞ。
来る日も来る日も糠床をかき混ぜる私であったが、ある時にふと気が付いた。
糠床って漬物をつけるためのものじゃね?
そう、糠床は漬物を作るために準備する土台である。
なのに私はこの糠床で漬物をつけたことなどない。
だって、私は漬物が嫌いだから。
着てはもらえぬセータを編むようなものだ。
「もう、やめよう。」
私の心の中でそんな言葉が浮かび、糠床を混ぜることのない日々が続いた。
糠床からの声
一日、二日、三日と数日は糠床のことがどことなく気になる日々が続いていたが、
1週間もするころには全く気にならなくなっていた。
2週間を過ぎたころ、ふと見た透明の容器から見える糠床は具合の悪そうな色になっていた。
そして、このままではもう糠床が生きていけないぎりぎりの状態になっていると感じた。
そんな時、糠床と私の楽しかった日々が蘇った。
漬物なんかつけなくてもいい、ただ糠床を混ぜ続けて糠床の発酵を楽しめばいいのだ。
私はそう確信した。
その日以降、私は決して漬物をつけるわけではない糠床をただ毎日かき混ぜるという、糠床生活が続いているのである。
糠床を毎日かき混ぜて最高の状態を維持する。
これは大人の高尚な趣味なのかもしれない。
糠床~私のひかり
お わ り