「事実は小説よりも奇なり」からいろいろ考える日々。
世の中には様々な言葉がありますね。
世の中には多くの言葉があふれていますね。
そして言葉は時代とともに移り変わっています。
時代に生きる私たちは、自分の年齢や経験とともに使う言葉や好きな言葉というものが変化してくると思います。
私のここ数年の一番のヒットホットワードと言えば、以前ブログでも書きましたが「ご自愛ください」に他なりません。
その話はこちら→「ご自愛ください」と言う言葉を使える大人は素敵だと思うの巻
「ご自愛ください」という言葉には、慈しみの心があふれています、使うほうも受け取るほうも温かい気持ちになることが出来る言葉です。
ここ数日気になる言葉があります。
ここ数日、気になる言葉があります。
ふと、友人とのメールの中で頭に出てきたのです。
「事実は小説より奇なり」という言葉。
私はもうすぐ40のアラフォーですが、自分の人生でいまだ以てこの言葉を使ったことがなければ、思ったこともありません。
何となく知っているレベルです。
そんな言葉が急に頭にめぐってきたのです。
それ以来、この言葉が心に引っかかるようになり気になり続けています。
意味としては、そのまんまで「現実世界は小説の空想世界よりもよっぽど不思議に満ち溢れている」といった感じでしょうか。
人は勝手なもんです、時には「小説の世界だからあり得る話だ」なんていうのに、片方では「小説よりも奇なり」です。
人間の解釈次第、あいまいなもんです。
そんなものはどうでもいいんです。
アラフォーかつ秋でセンチメンタルになっている私の心に「事実は小説よりも奇なり」はすっぽりとはまり込んできたのです。
この言葉に取りつかれてからは、様々な事柄に対して現実世界では何もかも起こりうるものだと、わかってはいたけど新たに考えさせられるようになりました。
そして、どちらかというと、「奇なり」の部分をネガティブに考える自分がいました。
なんででしょうか、風邪をひいていたので気持ちが沈んでいたのでしょう。
でも、風邪の回復とともに気持ちも上がり、「奇なり」の部分をポジティブに感じる自分になってきました。
最近の私の趣味と言えば、映画「男はつらいよ」48作を中心に様々な映画を見ることなのですが、先ほど「男はつらいよ」を見ている中で感じることがありました。
「男はつらいよ」すなわち寅さんの世界では、寅さんが親しくなった人が寅さんの実家である「とらや」を訪問すると、寅さんを中心に家族全員が来客を自分の事のように歓迎しもてなすのです。
映画をいつも見るたびに、このような暖かなもてなしと楽しい空間、それは映画の虚像だとどことなく自分の中で無意識に線を引いていた気がします。
しかし、「事実は小説よりも奇なり」という言葉に出会ってから、寅さんの世界観も決して虚像なんかではなく現実にあり得るのだと思うようになりました。
今までも映画を見る際は、どっぷりと現実を離れその世界観に浸っていたつもりでしたが、今回を機に完全に映画を楽しめるようになりました。
子供のころから、フィクションや舞台裏を常に考えて物事を楽しめない損な性格だったのですが、今回で一皮むけた自分になれた気がします。
たった一つの言葉が自分をこんなに変えるなんて。
それと同様に、まだ出会っていない多くの言葉に自分の成長が隠されているのかもしれない。
そう思う私であった。
なんてね。
今日はセンチメンタル気分が勝手に書かせたブログでした。
おわり