糠床と私~oh my destiny
2021/07/04
「出会い」それは運命なのか必然か。
話はさかのぼることひと月前。
高学年の娘が言った。
「糠漬けをやってみたい」
漬物を食べない私、というか食べたいとも思わない私にとって、糠漬けに良いイメージなどない。
ここは一つ静観を決め込もう。
そう思った。
その時、妻は糠漬けなんて臭いし食べるわけなんてないんだからやめなさい。
そう言った。
そこで、子供の糠漬けへの道は絶たれた。
運命とはいかなる困難をも打ち抜く。
しかし、糠漬けとの出会いは決して避けることはできなかった。
娘は、糠漬けをやりたいと言い続け、それに対しやめようと説得する妻。
連日続くやり取りに、何かが私の心を貫いた。
私「そんなに糠漬けをやってみたいのか?」
娘「やりたい」
妻「やるんなら二人で責任を持ってください。」
ここで、糠漬けと私の出会いは始まった。
糠漬けとは教育に他ならない。
私が糠漬けを許可したのは、単なる料理的興味で終わらせるわけではなく、理科的見解を身に着けるための教育的側面からだった。
しかし、私の思いとは裏腹に娘はネットで糠漬けセットを買うと言い出した。
糠漬けセット!?
糠漬けセットとはすでに、糠のセッティングが終わっておりただ野菜を入れるだけの完成された状態になったものだった。
私は驚いた、世の中にはこのような便利がモノがあるのかと。
しかし、教育のための糠漬けである、このようなセットを購入しては元も子もない。
そして、大人の私があれこれ指示をしても何ら意味がない。
娘の自主性のもと糠漬けを始めなければならない。
糠漬けの自主学習が始まった。
娘に糠漬けの勉強をするように指示をした。
しかし、調べるのはめんどくさい、糠漬けセットを買うといってきかない。
これではいけない。
私は重い腰を上げ、娘を本屋に連れて行った。
ネットで調べ上げるのは情報リテラシー力が必要だ、娘にはまだその力がない。
これは、本を買ってあげるしかない、そう思った。
二人で本屋へ行き、糠漬けについている本を購入した。
娘はこの本を参考に糠漬けについての知識を得た。予想外の出費に私の懐は痛んだ、しかし娘の教育を思えば安いもの....なはず。
さっそく実践に。
糠漬けの仕組みや効果について最低限の知識は得たようだったので、さっそく始めてみることに。
必要なものは、米ぬかや塩や唐辛子など。
それぞれを買いそろえて行かなければならないが、店頭ではどれも大袋しか売っていない。
そんな時に、導入に必要なものがすべてセットになったものが売っていた。
すでに糠床として出来上がっているのであれば購入しないが、これは材料が混ぜ合わせてあるだけのいわばホットケーキミックスのようなもの。
これを購入した。
家に帰り、さっそく糠床を作ることに。
購入した糠床ミックスに水を混ぜ、あとは1か月ほど毎日混ぜ合わせれば糠床の完成となる。
糠床生活が始まって
糠床のにおいと言えば、最初はもちろん米ぬかそのもののにおい。
本によると、発酵が進むにつれてにおいに変化が出てくるとのこと。
ただ、毎日混ぜてあげないと糠床は腐ってしまいます。
初日、楽しそうに糠床を混ぜる娘。
二日目、楽しそうに糠床を混ぜる娘。
三日目、真顔で糠床を混ぜる娘。
四日目、私の指示を受けて糠床を混ぜる娘。
五日目、私の指示を受けず糠床を混ぜる私。
六日目、私の指示を受けず糠床を混ぜる私。
七日目以降、無言で糠床を混ぜる私。
私と糠床の戦いが始まった。
糠漬けを始めたいと言った娘から始まった糠漬け生活ですが、ほぼ3日で娘は糠漬けに興味を失い、
糠床は私の手に渡ったのであった。
漬物が嫌いな私にとって糠漬けなんて興味はない。
娘の教育上と考えても、本での知識、実践を通じて十分それで成果が出たように思えた。
このまま、糠床を終えよう。
私の心の中で、そのような決断が下った。
しかし、連日寝る前になると糠床をかき混ぜる私が台所にあった。
今日を最後にもうやめよう、何度思っても糠床に手を差し伸べる私がいる。
気が付けば、糠床と私の共同生活が始まっていた。
糠床の世界
糠床は単なる糠に他ならない、しかしそこには発酵というドラマがある。
一見単なる糠の塊だが、そこには宇宙と無限の可能性が広がっているのである。
というわけで、すっかり糠床製作が私の日課となったのであった。
つ づ く