親睦という名の強制強要を考える。
私の会社は、年に何度か支店どうしで親睦のスポーツ大会があります。
野球やサッカーなど。
あくまでも親睦ですから、棄権しても良いですし、参加も任意、試合だって親睦なのでルールはゆるいです。
普段は仕事をする仲間同士が、チームを組みスポーツをする、職場だけではわからない人間関係を形成することが出来、親睦もたいへん深まると思います。
ですが、そうは行かない場合が....
スポーツに参加したい人が単純に、楽しくスポーツをするだけなら私は何も思いません。
ですが、あくまでも任意で楽しく親睦なはずなのですが、半ば強制強要で参加させられる現実があります。
人数がギリギリで、一人欠場すると参加できないから、休むことは許されない。
年長者が出ているのに、若者のお前が休むのか。
など、あくまでも任意の参加が強制、強要になります。
百歩譲って、楽しくゆるくスポーツするだけならば、強制で参加させられたとしても、楽しい気持ちになると思います。
しかし、野球やサッカー経験者で気合や根性でやってきた人、俗にいうガキ大将的なスポーツ大好きな人が一人二人居ると、親睦は一転します。
そういう気合や根性でスポーツする人とチームを組むと、そのチームはどうなるか?
そうです、親睦なんて関係なしに、ただ勝利を求めて、熱さ、激しさを全員へ強要します。
楽しくゆるくやることが親睦なのに、その一線を簡単に超えてしまうのです。
趣味や部活などでチームを組んでスポーツをするならば、勝利を求めて熱く激しくするのはもちろんだと思います。
私がもし、そのような本気の場に入って、熱く激しくやらないのなら、避難されて当たり前です。
しかし、その理論を親睦の場に持ち込むということは、本末転倒だと思います。
親睦は親睦、あくまで楽しく和気あいあいとコミュニケーションを深める場であり、勝利を求める場ではありません。
スポーツが大好きな人にとっては、熱く激しくするのは当たり前で何ら問題無いのかもしれませんが、スポーツが嫌いな人、経験がない人、どう考えても体格がスポーツに向かない人などの、スポーツ弱者に熱さや激しさを求められても、全く楽しくありませんし、怪我の恐れも出ます、そして何より熱さを求める人へ憎悪すら覚えます。
これは親睦の飲み会にも言える。
職場の飲み会は、今の時代ですから、任意の参加が強く認められるような気がします。
職場全体など、大人数で行われるものならば、行きたくない人が行かなくても会は成立します。
しかし、職場内のグループや係などの少人数の飲み会は、上記のスポーツへの参加と同様に、誰かが欠席すると会が成り立たないから、休むことは許されないといった流れになってしまいます。
そうです、親睦という名の強制強要が発生するわけです。
親睦が憎悪に変わる
ここまで書いてきたように、親睦を図るために行われる行事が、一転して憎悪に変わる場合があります。
つまり、本質を見誤るとプラスになるものがマイナスになってしまうのです。
熱い人にとっては、スポーツが苦手な人に苛立ち、スポーツが苦手な人は熱い人へ苛立ちます。
下手な親睦は憎悪を生む
では、どうすればよいか。
第一に、参加の強制強要をしない。
参加したくないということは、その行事に魅力がないのです。
つまり、ミスマッチということです。
別の行事を企画するべきです。
第二に、親睦という本質を徹底する。
なんだかんだ集まってくれて、行事を開催できたなら、一部の行事が好きな人のペースに合わせるのではなく、
行事を苦手とする人に視点を向けて行事を行うことです。
親睦で全員が楽しくなるためには、その行事が好きな人に合わせる必要は無いのです。
おまけ
私自身は、スポーツに向かない体型ですし、飲み会なども好きな人意外と行きたいとは思いません。
しかし、親睦という名の強制強要にいやいやながら参加していました。
今日、この文章を書いていて改めて思ったのですが、いやいや参加するくらいなら、思い切って断る勇気も必要だということです。
一時は、お互いに嫌な思いをするかもしれませんが、時間が過ぎてしまえばおそらく風化されていくはずです。
親睦は、スポーツや飲み会だけではありませんし、望まないものに参加するほど辛いことはありません。
思い切って断ることにより、根本的な問題提起をすることも大事だと思います。
次回からは、自分自身の思うようにはっきりと行動してみたいと思います。
何事も突き抜けることは重要です。