いつまでも純粋な気持ちを忘れたくないの巻
季節はすっかり春。
こんにちは、僕です。
今、前回のブログ更新から一体どれくらい時間が経ったのだろうと確認してみたところ、約一年半。
子供時代の一年半、それはとんでもなく長い時間でしたが、40代も半ばになったおっさんの私にとって、それはまるで昨日のことのよう。
改めて、なんでブログを書いているんだろうと考えたのですが、それは単純に自分の話を誰かに聞いてほしいから。
でも、忙しさにかまけて、誰かに聞いてほしいなんて気持ちも薄れてしまっていました。
時には、X(旧ツイッター)なら短文だし、気軽にできると思っていたのですが、自分としてはブログくらい長文じゃないと気持ちが乗らないようで、結局続かず。
忙しい毎日は変わらないのですが、今日はゴールデンウィークの2日目。
少し気持ちに余裕が生まれたようです。
純粋な気持ちって
以前、私が子供の頃の小学生は、読売巨人軍の帽子、いわゆる巨人帽をみんなかぶっていたという記事を書いたことがあります。
その記事はこれね→巨人(ジャイアンツ)の野球帽をかぶっている小学生はどれくらいいるのか?
その記事の内容としては、昔は子供といえば画一的におんなじだったなということ。
男か女か、あとは年齢によって大体みんなおんなじ。
そんな時代がいいのか悪いのかはよくわかりませんが、今となってはそれが懐かしいという話です。
最近見ない子供の遊び
春の北海道は雪解けの影響や、黄砂が飛んできて、汚れた車がたくさんいます。
自分が子供の頃は、そんな汚い汚れた車があったら小学生の格好のイタズラの標的にされていた気がします。
そう、汚れた車に指で文字を書くイタズラ。
僕は、自分の家の車にしかやったことないですけど。
大抵は、自分の家の車にしかしないですよね。
何かの絵を書いてみたり、何かの文字を書いてみたり。
昔は外で遊ぶことが多かったから、そんなこともしていたのかなと。
なんで、そんなことを今ここに書いているかなんですが、今日たまたまスーパーに買い物に行った際、駐車場にとまっていた車のトランクに指で書いたイタズラがあったからなんです。
今でも、こんなことやる子がいるんだって驚きと、なんだか懐かしい気分。
でも本題はそっちじゃない。
ここまで、約900文字も使いながら、本題は子供が車に文字を書いて遊ぶイタズラの話ではないんです。
重要なのはここから。
そこに書いてあった文字が重要なんです。
なんて書いてあったか。
それは、
それは、、
それは、、、
そう、子供たちが大好きなあの3文字。
う ん こ
う ん こ
小学生低学年、いや幼稚園児くらいまででしょうか、うんこなんて言葉を恥ずかしくもなく、日常的に使うことができるのは。
でも、ある時を境に皆が発言しなくなります。
きっとそれは大人の階段、大人社会へ迎合するための通過点なのでしょうか。
私は、ハッとした。
自分も当たり前のように、そんな普通の大人になってしまっていました。
でも、今日の落書きを見て私はハッとした。
そう、私は虚を疲れた思いがしたのであった。
うんこ
こんなことを大人社会で簡単に口にすることはできないが、実は皆声を大にしてしゃべりたいのではないか。
私は落書きを見てふと考え込んでしまった。
大人たちの誰もが、そんなの子供が言うこと。
そんなふうに下げずんでくだらないことのように思っているが、実は私たち大人は自分の心を押し殺していたのではないか。
早く大人になりたくて、自由になりたくて、あがき続けて捨ててしまったのではないでしょうか。
先が見えない、こんな時代だからこそ今、誰もが自由になる必要があるのではないでしょうか。
本当の自分にたどり着くべきなのではないでしょうか。
だから私は言いたい、本当の自分にたどり着くために言いたい。
うんこ
うんこ
うんこ
なぜだろう、私の心は清く浄化されていく。
そして、心が満たされていく。
日々のストレスで失ってしまった自分の心が戻ってくる。
なんという言葉の破壊力。
物体としては汚いものそのものですが、この言葉には力があるのです。
ただ、公衆の面前、大人の集団で突然こんなことを言ったらそれはまずいことになるのでね。
そっと、心の中で叫んでみましょう。
うんこ
ってね。