趣味を「インターネット」と答えた時の反応と心の持ちようについて考える。
2021/07/04
「趣味って何か。」
こんにちは
昨日から趣味について考えています。
考えるきっかけになったのは、友人が単身赴任になりそれに伴い時間ができたから趣味を見つけなきゃというメール。
ふと、自分の趣味って何なんだろうと考えたのです。
人間関係を築いていく中で、「趣味は何ですか?」なんてキーワードは必ず出てきます。
私も人並みに生きていますので、そんな鉄板キーワードに対しての答えは持ち合わせています。
そう、私の趣味は。
インターネット
あえて死語を生き返らせるとしたら、ネットサーフィンってやつです。
ヤフーニュースから始まり、アマゾンの巡回、各種ネットニュースに雑誌系のサイト、最後は掲示板系の巡回も欠かせません。
そして、巡回のなかで気になることがあればそれについての詳しい調査。
いくらでもパソコンやスマホとともに時間を費やすことが出来ます。
よく言えば見えない世界への探訪、悪く言えば無駄な知識への追求でしょうか。
自分としては、知らない世界、新しい場所への好奇心が常に湧き上がるわけですから、楽しい時間です。
「インターネットが私の趣味です」
しかし、「インターネットが私の趣味です」、そう答えた際に、世間の反応は冷たい。
そして、その反応はネガティブなものです。
質問者の年齢が上になるほどその傾向は強い。
たいていの人は「インターネットね、ふっ」、そんな感じでお前の答えは期待外れだ感が充満する。
次に必ず聞かれるのが、「インターネットのいったい何が面白いの?」
そう来る。
はじめのうちは、熱くインターネットの面白さと奥深さについて話していたのですが、世間一般の人はわかろうともしてくれません。
結局、世間一般において趣味というものは、決まりきった、その趣味からどのような楽しみを得られるのかがはっきりとわかるものではないと認めてもらえないのです。
たとえて言うならば、映画鑑賞、読書、スポーツ、野球観戦など、そこからすべてがイメージできるものですね。
世間一般のインターネットのイメージと言えば、オタクで陰湿、生産性がない、そんなイメージがいまだにはびこっています。
だが、本当にそうなのだろうか
例えば、趣味としての「読書」を考えてみる。
趣味の王様と言えば読書ではないでしょうか、だれしも趣味が読書ですと聞いて悪いイメージを持つものはおらず、その人に知的な雰囲気さえ感じてしまいます。
読書の有用性を考えてみたときに、知識、語彙力、いろいろな考え方、非日常を体感できる、などがある。
しかしどうでしょう、この有用性はまさしくインターネットにも当てはまります。
さらには、インターネットの方が上位互換性を持っています。
読書だけならば、インプットされて終わりがちですが、インターネットならばインプットからさらに派生したインプットを生むことが出来ます。
また、インターネットでは情報の鮮度の高さが本とは比べ物になりませんし、なにより日本だけにとどまらず世界ともつながっています。
趣味としてのインターネットのメリットを考える。
現代は、情報過多、そして情報の質は玉石混交です。
何げなくスマホを見て簡単に情報に情報が得られる反面、正しい情報にいち早くたどり着くことは容易なようで難しいです。
しかし、趣味として日々インターネットでの情報収集を行っていれば、何が正しく何が間違いか、そしてどこに行けばほしい情報を得られるのかの能力が身に付きます。
現代を生き抜く中で一番必要な能力、そう「情報リテラシー力」です。
ネットが生まれる前までなら、本を沢山読んで知識を多く身に着けた人のみが情報強者となりえた訳ですが、
情報化社会の今となっては誰もが膨大な情報があふれていて、そこにアクセスできます。
すなわち、膨大な情報へいかに正しくアクセスし、欲しい情報を得ることが出来るか、情報リテラシー力の高さが情報強者となりえるわけです。
終わりに
インターネットが趣味というのは、世間一般では理解されない趣味となりがちですが、実は現代を生き抜くうえで重要な力を身に着けることが出来るトレーニングであり、高度で奥が深いものである。
インターネットの趣味を理解できない人はしょせん情報リテラシー力がない人なのです。
趣味「インターネット」恥ずべくことなく、胸を張って言いたいものです。
そして、そんな仲間に多く会いたいものである。